自閉症・勇吉の生い立ち&勉強したこと |
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勇吉、3歳になる前から市が行っているデイサービス、
○○○教室に週に1度通いだした。 なんらかの発達のつまずきを持っている親と子供の為のもの。 このころ、ようやく兄が幼稚園へと通いだす。 私立だったので送迎はバス。 そのころ某団地に住んでいたんだけど、 まん前までバスが来てくれる。 帰りはたしか、3時40分ごろだった。 生活は物理的には楽になった。 勇吉は歩けるのに歩かなかった。 ベビーカー我が命。歩こうとすることはまず なかったなぁ~。 その後4歳まで乗りたがったので、思い切って 人にあげた。 大吉がいない(幼稚園に行っている間)となんだか 家が静か。 公園にも少しは行くが勇吉嫌がるので余り長持ちしない。 家で何かして遊んであげたいと思い 本を読んでみたり、ままごと持ってきたり・・・。 でも勇吉は遊んでくれなかった。 確かその頃も私には理解できない一人遊び繰り返していた。CDを見つめることが多かったかな? お母さんと一緒かけても全く興味なし。 どちらかといえばコマーシャルや、番組の下に流れるテロップが好きだった。 ○○○教室に通うようになって、同じ悩みを持つ 母ともができた。 嬉しい反面、実は勇吉が1番発達が遅れていることも ここで再確認できてしまった。 1番思い出に残ってるのは、運動会もどきをした日の事。 狭い教室の端と端に母、子供離れてたつ。 「ようい、ドン!」の合図で子供が母親のところへ走っていく。 勇吉だけがゴールできなかった。 このときだけは涙が出そうだったな~。 だれもわるくないんだけれど。。。 まだこの時期、勇吉は私の存在=母とは繋がっていなかったんだと思う。 でも、親しいお友達たくさんでき今でもおつきあいさせていただいております。 ST(言語訓練)の先生の強い勧めもあり4歳前より 通園施設に通うことになる。 ココがよかった~☆私は救われた。 勇吉のことを親身に考えてくださる先生方、心強い先輩母。同じ悩みを持つママ友。 一度に肩の力が抜けちゃった。 私は親の会に入り、この子達のために何でもしよう! 勉強もいっぱいしよう! やたら張り切っていた。 通園する何ヶ月かまえに、今のところへ越してきた。 家になじむまで、勇吉はずっと抱っこを要求していたことを思い出す。 引越しの前後から睡眠障害は」ますますエスカレートしていて、横になれなかった私は、座椅子を買って もたれて寝ていたことを思い出す。 「このままの生活続いたら私、やばいかも・・・」 とひそかに思っていた。 勇吉、通園施設になれ始め、なぜかあんなに悩んでた睡眠障害も落ち着いてきた。 よっしゃ~!!! 私たちは活動的になってきた。 仲の良いお友達と家族ぐるみでお付き合い。 海、スキーなど、とても楽しかった。 が、長くはつづかなかった(悲) 忘れもしない、お友達家族と海水浴に行き 「楽しかったね~。これからはいろんなとこ行きたいな~!」と喜びながらねた。 すると夜中、天井がグルグル回りだす。 恐ろしいめまいに襲われた。 立ち上がることもできなくて這ってトイレに行った。 今思い起こせば、それが現在に繋がる神経症の始まりだった。
by ranrantomomo
| 2005-12-26 11:08
| 勇吉の生い立ち
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