自閉症・勇吉の生い立ち&勉強したこと


自閉症とは100人いれば100とうり。ココでは勇吉の年齢ごとの記録と私が勉強したことを書き込みます。
by ranrantomomo
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平成18年・1月9日・勇吉7さい

勇吉が産まれて7年がたった。

勇吉 お誕生日おめでとう(* ^)(^ *)

一番大きな変化は通園施設から養護学校の1年生になったことだね。

変化が苦手な勇吉。
通園の時には毎日困らせてくれた。
なれるまで3ヶ月はかかったかな?

ところが・・・。
私の予想とはうらはらに学校へは何のハプニングもなく毎日楽しく登校しているね。

1クラス5人のお友達に2人の先生。
今では先生の名前が呼べるようになりました。

6歳のときは排泄の面ではまだまだ未自立だった。
失敗するだけならまだしも、おしっこで滑って遊んだり
ウンチを伸ばして遊んだり・・・。
くさいし汚いし、こまったものでした。
新しくかったホットカーペット1日で捨てたこともあったね。

今では誘い掛けや少しのお手伝いは必要だけれどパンツで過ごせるようになった。
頑張ったね。まる~~~\(^-^)/

言葉に関してはこちらの言うことはほとんど理解できる。
でもあくまでも短い分で、形容詞は使わず伝えることが大切かな。

勇吉は発音不明瞭でなかなか聞き取れないことが多く頭を抱えることが多い。
色んな工夫をして、勇吉の発信を受け止めたい。

お兄ちゃんの存在がやっと明確になってきたようだ。
これは学童に一緒に行かせたことも効果があったように思う。
なかなか勇吉からあそんで!とアピールすることはないが
兄からのアピールには答える機会がおおくきなった。

大吉とすもうもどきや、肩車してもらっているときの勇吉の笑顔が好き。
勇吉を誇らしげに肩に乗せてやってる大吉の誇らしげな笑顔が好き。

ゆっくり・ゆっくり歩いていこうね。
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# by ranrantomomo | 2006-01-20 18:21 | 勇吉の生い立ち

養護学校1年生。初めての運動会(2)

初めての養護学校での運動会。
どんな風なんだろう???って感じで凄く楽しみにしていました。

市内には養護学校の小学部、中学部が1校しかありません。必要としているお子さんは沢山。
年々ふえつづけている。
校舎の建て増し、建て増し・・・。
その結果とても狭い運動場になってしまいました。
そのため午前が小学部、午後が中学部という風に分けて行われました。

まず生徒の入場。
生徒3人に1人の先生がつきます。
フォローされつつも整列し6年生の男の子が
選手宣誓をしました。凄く頑張って練習したんだと思います。
こんな沢山の人の前で凄いよ!と知らないお子さんではありましたが感激したゆうゆうでした。

聴覚が敏感なお子さんが多く、耳をふさぎながら競技に取り組んでいる子。
ヘッドホーンをつけている子も何人かいました。
それでもね笑顔だったんですよ。

私は彼(彼女)たちにとって運動会って苦痛ではないのかな?という一物の不安があった。
でもそんなことはなかったです。
中には緊張してしまいしんどそうなお子さんもいたけれど、時に笑顔も見せてくれました。

練習の成果をみてみて!!と観客席を意識しながら競技しているお子さんが多かったことにビックリしました。
笑いながら走っていましたよ(●^o^●)

競技数は少ないけれど多いとそれだけ練習に追われる。だから結果としてちょうどよかったんだと思います。

いろんな工夫もなされていて、ピストルの音は聴覚過敏なお子さんにとっては苦痛です。
だからスタートの合図は笛でした。

コースがわかりやすいように走るときは色つきのわっかを持ち、そのわっかと同じ色のビニールテープを巻いたコーンのところにわっかを入れてゴール。
視覚優位の彼(彼女)たちにとってとてもわかりやすかったようです。

勇吉はね、全然緊張してなかったですよ(笑)
と~~~ってもスローリィ。
でも競技の流れはわかっているようでした。
いつもにましてスローリィだったには理由あり。
お父さんの姿が目に入ってしまったから
そちら向きながら走るはずでしたが歩いてました(笑)
でもちゃんとゴールできたよ。
勇吉、ナイス(●^o^●)

昨年までは私たちの姿見つけるとこっちに来てしまって困ったんです。

すこしおにいちゃんになったね
勇きっちゃん(●^o^●)

そんな勇吉をほめてくれたね大吉よ。
あんたも成長したわね。
私も大きくて あったかいかーさんになりたいぞ!!

いまは鬼ばばだけどね^_^;
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# by ranrantomomo | 2005-12-29 18:13

養護学校1年生。初めての運動会(1)

今日こちらは真夏のような暑さでした。
ついに次男勇吉の養護学校初めての運動会です。
朝、7時ごろ目覚めた彼はいつになくご機嫌でした。

私はある決心をしていました。
運動会の練習中は初めてのことでもあり、連日疲れていただろう。学童にも行かせているししんどいやろうな~。登校時あるかないときは抱っこしてもいいやんな、まだ体重も軽いし・・・。
でも1週間続けると私もしんどくなってきた。
もともとは歩いていっていた。
歩く力はあるけれど、甘えること覚えてしまった。
でもこの先、きっとだけなくなる。
その前に、歩く練習したほうが私も楽だし
勇吉もそれが当たり前だと思ってくれるだろう。。。

今朝家の玄関で勇吉の目線に合わせてかがみ彼に伝えた。
勇吉、今日は運動会やね。おとうさんも、お母さんも、お兄ちゃんもみてるからがんばってね。
今日から、お母さんは勇吉抱っこで行きません。自分で歩きます。歩けるからね。頑張ろう。

と声をかけたんです。

するとね、歩いたんです。バスの来るところまで。
私自身ビックリしました。
途中お地蔵さんがあるんですが、そこでおまいりもして、歩くというより走っていました。

よっぽど機嫌がよかったのかもしれません。
この次うまくいくか、保障もありません。

でも私にとっては大きな大きなプレゼントもらった気持ちでした。

勇きっちゃん、ありがとう(●^o^●)
運動会のお話は、また明日に続きます。。。
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# by ranrantomomo | 2005-12-29 18:11

感謝の気持ち

今の世の中自閉症といえば、聞いたことがある!とか「あの、ドラマの?(光とともに)という答えが返ってくる。
親の育て方ではなく脳の機能障害であるとはっきり言う事ができる。

35年ほど前にさかのぼってみるとその当時の親御さんはとても大変な思いをされてきたんだなぁ。
とつくづく感じる。

勇吉が通っていた通園施設も今でこそバスでの送迎があり、給食もあり、発達の先生、看護婦さん、保育しさんととても充実している。
しかし元をただせば、幼稚園にも保育園にも受け入れてもらえず、行き場を失った子供達のために、親御さんが立ち上げたものだと説明を受けたとき
私はビックリした。

毎日お弁当を作り、電車やバスで通い、先生すらいなかったんだと・・・。
今こうして、悩める親子を救ってくれる施設にまで成長させていただいて本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

そして数々の、通所施設など築き上げ道を作ってくださっている。
アドバイスもしていただけるし、経験談も聞ける。
数々の講演会。
インターネットでも先輩母、父には助けられることが多い。本当にありがたいです。

いろんな話をきいて物事最終的に決めるのは私自身だけれど選択肢があるっていうのは本当にありがたい。

わたしもいつか、誰かにヒントや、楽しく暮らせる技を提供できたならいいなと思います。

いまはまだまだ自分自身のことで精いっぱいですけれど。。。
ありがとうございます
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# by ranrantomomo | 2005-12-29 18:08

ゆうゆうの後悔

勇吉は実は1月生まれなんです。
だから正確に言うと現在6歳です。
当たり前ですが、6回誕生日があったわけです。

今までの私は勇吉には申し訳ないけれど
「誕生日おめでとう!!」というよりは
もう○才なんだ~。あれもできない!これもできない!
とできないことを探しては、周りのお子さんや
同時期の兄の成長と比べ、内心はあせっていました・・。

これってもったいない話です。
勇吉なりに成長して、可愛い時期ももちろんあったはずなのに先の心配をしては凹む。
いつも作り笑顔で過ごしてきたんだと今振り返れば
思います。
勇吉ごめんね。

でも今は障害を前向きに捉えられるようになったたこともあり
日々の成長がほんとに嬉しくおもいます。

何度も繰り返してきた発達検査。
最初は今で何歳くらいのレベルなんだろうか?
とか凄く気になりました。
でもいまはさほど重要ではありません。
検査で出る結果はほんの一部分にしか過ぎないからです。

言葉がうまく話せなくとも、おもらししても、かんしゃく起こしても勇吉は今6歳なんですから・・・。

あ~でももっと早くに私に心構えがあったなら
可愛い時期を見逃さなくて済んだのにな~。。

通園時代に私が病んでいた頃、担任の先生との懇談がありました。
そのときの私は、自分の体に不安があったこともあり
男の先生に
「もしもわたしが勇吉より先に死ぬようなことがあったなら、勇吉も一緒に連れて行きたい。」
といったところ
「お母さん、それは違うで!この子には生きる権利がある。勝手に決めたらあかん!!」
といってくださいました。
いまでもよく思い出します。勇吉は生きる力持っているんですものね。
そんなこと考えるよりも、どう支援してあげればこの子達が生きやすい社会になるのか考えるほうが
ずっと大切なことだと今思います。

先日家族の雑談の中で
「この家は大吉が結婚したら、あげるわ!」
と冗談で言っていて、ふと私が
「あら!勇吉は1人で生活できるようになってるんやろか・・・」
といったら、今までどらえもんを見ていた大吉が
「俺がおるやん。」ボソッといったんです。
「エ!!???」私はビックリしました。
「もいっかいゆうて!」とリクエストしたけど、無視されました。
大吉よありがとうちゃん☆
お母さんは、うれしいぞ(●^o^●)
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# by ranrantomomo | 2005-12-26 11:09 | 勇吉の生い立ち

勇吉の生い立ち(3)

勇吉、3歳になる前から市が行っているデイサービス、
○○○教室に週に1度通いだした。
なんらかの発達のつまずきを持っている親と子供の為のもの。
このころ、ようやく兄が幼稚園へと通いだす。
私立だったので送迎はバス。
そのころ某団地に住んでいたんだけど、
まん前までバスが来てくれる。
帰りはたしか、3時40分ごろだった。
生活は物理的には楽になった。
勇吉は歩けるのに歩かなかった。
ベビーカー我が命。歩こうとすることはまず
なかったなぁ~。
その後4歳まで乗りたがったので、思い切って
人にあげた。

大吉がいない(幼稚園に行っている間)となんだか
家が静か。
公園にも少しは行くが勇吉嫌がるので余り長持ちしない。
家で何かして遊んであげたいと思い
本を読んでみたり、ままごと持ってきたり・・・。
でも勇吉は遊んでくれなかった。
確かその頃も私には理解できない一人遊び繰り返していた。CDを見つめることが多かったかな?
お母さんと一緒かけても全く興味なし。
どちらかといえばコマーシャルや、番組の下に流れるテロップが好きだった。

○○○教室に通うようになって、同じ悩みを持つ
母ともができた。
嬉しい反面、実は勇吉が1番発達が遅れていることも
ここで再確認できてしまった。

1番思い出に残ってるのは、運動会もどきをした日の事。
狭い教室の端と端に母、子供離れてたつ。
「ようい、ドン!」の合図で子供が母親のところへ走っていく。
勇吉だけがゴールできなかった。
このときだけは涙が出そうだったな~。
だれもわるくないんだけれど。。。
まだこの時期、勇吉は私の存在=母とは繋がっていなかったんだと思う。
でも、親しいお友達たくさんでき今でもおつきあいさせていただいております。

ST(言語訓練)の先生の強い勧めもあり4歳前より
通園施設に通うことになる。
ココがよかった~☆私は救われた。

勇吉のことを親身に考えてくださる先生方、心強い先輩母。同じ悩みを持つママ友。
一度に肩の力が抜けちゃった。
私は親の会に入り、この子達のために何でもしよう!
勉強もいっぱいしよう!
やたら張り切っていた。

通園する何ヶ月かまえに、今のところへ越してきた。
家になじむまで、勇吉はずっと抱っこを要求していたことを思い出す。
引越しの前後から睡眠障害は」ますますエスカレートしていて、横になれなかった私は、座椅子を買って
もたれて寝ていたことを思い出す。
「このままの生活続いたら私、やばいかも・・・」
とひそかに思っていた。

勇吉、通園施設になれ始め、なぜかあんなに悩んでた睡眠障害も落ち着いてきた。
よっしゃ~!!!
私たちは活動的になってきた。
仲の良いお友達と家族ぐるみでお付き合い。
海、スキーなど、とても楽しかった。

が、長くはつづかなかった(悲)
忘れもしない、お友達家族と海水浴に行き
「楽しかったね~。これからはいろんなとこ行きたいな~!」と喜びながらねた。
すると夜中、天井がグルグル回りだす。
恐ろしいめまいに襲われた。
立ち上がることもできなくて這ってトイレに行った。
今思い起こせば、それが現在に繋がる神経症の始まりだった。
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# by ranrantomomo | 2005-12-26 11:08 | 勇吉の生い立ち

勇吉の生い立ち(2)

1歳6ヶ月からの勇吉は、それはそれは奇妙な行動をしては私を悩ませてくれた。
兄は当事4歳前。毎日の公園がよいが日課だった。
暑くても、寒くとも毎日午前と夕方。
まぁよく遊ぶのなんの・・・。
勇吉はまだ歩けなかった。ベビーカーに乗ったままボーッとしている。
遊んでいる子供達、それに付き添う母達のことなんて眼中にない。
空を見上げ手をよくかざしていた。
木の葉っぱを見上げ手をかざしていた。
でも私はほかの子と同じように遊んでほしかった。
笑ってほしかった。
家では同じ場所に座っていて余り動かない。
兄のやることにも関心を持たない。
この頃も呼んでも振り向くことはなかった。
CDをもたせたなら、半日は裏のきらきら光るのをみていただろう。
この頃から睡眠のリズム狂い始める。
昼寝はこの時期みんなすると思う。
勇吉も寝ていた。でも夜は・・・・。なかなか寝なくなった。
私たちが寝ようとすると、昼間おとなしかった彼が
ごそごそ動き出す。
狭い6畳の畳の部屋を何回も何回も往復する。(はいはいで。)
畳1畳分のスペースでハイハイでくるくる回って笑い出す。私はこの頃自分の子供が怖かった。
すでに専門の病院にはかかっていたけどドクターは診断を出してくれなかった。
「何かはあるけど、まだ小さいので経過観察が必要」
とのこと。
そのとき待合室においてあった小冊子。(自閉症の手引き)これ読んだ時間違いないと思った。
私の子供は自閉症
1-目が合わない 2-同じ動作を繰り返す 3-人に対する興味が薄い
すべてあてはまっていた。
私が頑張って治さなければ!そのときの私は治そうと思っていた。ゆっくりであってもいつかはみんなに追いつくと思っていた。
現在の私の思い
自閉症は脳の機能障害が原因であり、親の育て方の問題ではない。治るということはないが、私たちが障害を理解し支援してあげることで彼の暮らしは変わってくる。勇吉の世界を知ることが今私たち家族の楽しみでもあります
でも実際はうまくいかないことも多く凹むときも多いです^_^;
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# by ranrantomomo | 2005-12-26 11:05 | 勇吉の生い立ち

勇吉の生い立ち(1)

次男は自閉症。
平成11年1月9日 某産婦人科で産声上げずに産まれる。
先生は「大丈夫!大丈夫!」といっていたので私は
「あっ、そうなん?」と思っただけだった。
後で聞いた話によるととーさんや双方のじいちゃん・ばあちゃんは大変気にかかっていたらしい。
でもそのことは後になって障害とは全く関係ないと
ドクターから聞かされた。
当事兄2歳、これまたとってもやきもち焼きでまだオムツだったことを思い出す。

2人目も男の子やし同じようなものかなぁと思っていた私。でもそれは甘かった。

次男は母乳もミルクも余り飲まない。
当然体重の増えも悪いし、おしっこ ウンチの回数も少なくはらはらさせられた。
そのわりに寝てばかり。
あやしても笑わない、目が合わない、とにかく反応が鈍い。
あ~きっとこの子は何かあるんだろうな。
そう感じ取ったのは次男4ヶ月のときだった。
でも誰にもいえなかった。
身体の面での成長も遅く、歩いたのは1歳8ヶ月。
振り返ってみればそんなあせらんかったらよかったと思うけど私にとっては長かった。
もちろん言葉はでてなかった。読んでも振り向かなかった。
でも1歳過ぎてかかりつけ医から児童神経科の受診勧められ 大型の病院でMRI・脳波の検査する。
異常はなし!
1歳6ヶ月から療育センターの作業療法(OP)
2歳からは言語訓練(ST)にかよう。
この頃の私、ペーパードライバーで運転できず兄も連れ時にはお弁当持ちで歩いて、電車乗って、バスのって行っていた。今思い起こせばうわっ!すごつ!とおもってしまう。
この続きはまた今度にしよう。
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# by ranrantomomo | 2005-12-26 11:02


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